お節介とは、余計な世話をやくこと。他人の事に不必要に立ち入ること。
だそうです。
お節介:余計な世話をやくこと。他人の事に不必要に立ち入ること
出典:実用日本語表現辞典
ところがこのお節介、その人の性格と情熱によっては受け入れられる。
つまり、お節介でなくなる場面を私は知っています。
私の母は「人間大好き人間」
私の母は、「人間大好き人間」です。
なんだそれ(笑)
人情が服を着て歩いているような人です。
俗にいう、”世話焼きばぁちゃん”です。
実家に帰れば、たくさんの手料理にお菓子にコーヒー、最後はお抹茶までついてきます。
帰り際には日用品や父が作った野菜まで、お土産満載、それはそれは至れり尽くせりなのです。
我が家の息子くん達は、「お腹がはち切れる」という理由で行くのを嫌がります💦
お土産くらいで留まっていてくれたら、ありがたや~で済む話しなのですが、
これでは収まらないのがうちの母です。
来客があれば家に上がっていただくのは日常で、挙句の果てには習い事で顔なじみになったお年頃の方にお見合いの勧誘までしてしまいます。
相手のお方を見つけて来て、お見合いのセッティングまでするのが母です。
これはもうかなりのお節介です。
間違いなく余計なお世話です。
ところがです。
これが結構な割合で皆さん受け入れて下さるのです。
ここからは私の話。
先日、たまたま行ったスーパーの駐車場で、カートに購入した荷物を乗せて車まで押してこられた男性の方がいらっしゃいました。
丁度、店内に入ろうとしていた私に向かって、その方が押してこられた空のカートが転がってきたのです。
「宜しければカート頂きますよ」とお伝えした所、それはもう大変ありがたそうに何度もお礼を伝えてくださいました。
私は、それがとても嬉しくて嬉しくて。
一日中ハッピーでした!
ちゃんとお化粧していてよかったわ!
私のカートの一件と母のお見合い勧誘はまるで違うように思うのですが、もしかすると同じなのかもしれないとその時感じたのです。
断られる確率は違えど、私の行動だって「結構です」と言われていたかもしれません。
好意と取るか迷惑と取るか
話し方が素敵だったり、表情だったり、雰囲気だったり、母には断られる確率を下げる魅力を持っているのかも知れません。
小林正観さんが大好きな母。
ありがとうの神様が宿ってくださったのかも知れません。
お節介には反対語なんてありません。
もしもあるとするならば、「何もしないこと」でしょうか。
それはちょっと寂しいですよね。
何もしないことが大切な時もあります。
人の成長を願う時には何もせず見守ることも必要です。
子供のためなら、目の前の石ころだって退けてあげたくなりますが、そこはまた別のブログで。
人間を好きになれたら、お節介も迷惑だと思われなくなるのかも知れません。
私にはま、だまだ修行が必要のようです。